Tokyo HideOut

アラフォー外資系金融勤務のゲイHideが描く日常

お祈り後からの就活

2018年はブログ活動していなかったわけだが、出家したとか、悟りを開いた、という特段の理由があったわけではない。2017年に記事を数本このウェブサイトでリリースしたが、お金で愛を買おうとし、たまに現れる自分に好意を示してくれるゲイ男にのめり込んだ、弱くて格好悪い自分について客観的に記述したつもりだった。一連の記述でスッキリしたことと、目下、何もネタがない生活をしていることで、ブログ生活から遠のいていたというのが、2018年に何の記事もリリースしなかった言い訳だ。


このブログ本来の目的である自分の恋愛就職活動については、結論から言うと、これまでの確率論で言っても一生成功することはなく、成就することが無い活動だと認識している。それは自分自身の身体的な魅力が劣っている事と、ゲイ男性の性的欲求を刺激する要素に乏しいと言うのがその根拠だ。


そんなゲイカーストの最下層の人間にとって、ゲイアプリは単なる周囲の会ったこともないゲイ御仁の安否確認ツールに成り下がっている。SECOM社もデートアプリから派生した安否確認ツールをApp Storeでリリースしても良いくらいだ。そんな自分の乏しいリアル活動の中でも特に不満なのが、出会い後のレーティングシステムを何故導入しないのかと言う事だ。


人工知能が発達して複雑なアルゴリズムを組めるようになることで、「何故今回出会った人とは上手く会話が進まなかったのか」、「そもそも写真と本人が違った」、「言動がエキセントリック過ぎてコミュニケーションが取れなかった」、「無職でコーヒー代無心された」、「実際に出会ったみたらジミー大西だった」、などアプリ上でのマッチ後、ユーザー間でいろんな不具合があるにもかかわらず、全くフォローアップされずに、我々は次のマッチング出会いを探さざるを得ない事態に陥っているのが現実だ。


出会いアプリのナインモンスターでは、人気度合いによって自分のプロファイルのレベルが決まると言う、何とも残酷だが現実的なシステムが導入されている。しかし、そこに肉欲からの観点以外のレーティングシステムもあって良いと思う。イケメンが実は会ってみると、「凄く独りよがりな挿入セックスマシーンだった」、とか、「イケメンなのに鬼級に残酷な性格の持ち主だった」、とか、事後のレーティングを反映したプロファイルシスステムってあっても良いのではないか。


恐らく事後のフィードバックは千差万別だし、カテゴリ分けも難しいだろう。また必ずしも客観的な評価にはなりにくい事から、プロファイルに反映させる比重は少なくする、といった事も対策として必要だと思う。


企業の就職活動も単なるお祈りメールだけで面接にすら進めない事って沢山ある。「学歴フィルターでした」、「あんた挙動不審過ぎて社会人向いてないんちゃうか」、「グループディスカッションで何も発言していない」等、実際の就活もフィードバックくれたら良いんだけど、正直に言ってしまうと企業側としても不都合な立場になり得る場合もあるから、一方的なお祈りと「慎重な検討の結果」という断付きで、選考失敗となることが普通だ。

 

結局は世の中自体が不平等で、スタートラインから違っているという事を、少なくとも大学生時代の自分は理解していなかった。


ゲイとしてモテるにもある程度の戦略があって、ある一定の所までは行けるものの、最後は結局のところ、美味しそうな身体と顔面骨格をしている男性だけが生き残れる世界である。その中でも結婚やパートナーシップを結べている人達は、ほんの一握りの僅かだが非常に信念の強い人達で、愛に溢れた良い人たちなんだろうなぁと思う。

 

ゲイアプリで出会っても、外見気に入らなかったら、即言ってくれれば良いけど、日本人だとそんなストレートな人っていない。気まずい雰囲気で一言も話さずにお茶したり、時間を潰したりという状況になる事は、よくある事だ。人に溢れた新宿まで出て、待ち合わせの場所に行って出会った相手の、最初の一瞥が自分はとても怖い。こんな眼で見られることには慣れているが、こんな状況に何度か遭遇すると、リアルに会うことが怖くなってくる。

 

ゲイプライドって言うけど、そんなのはゲイカーストの中層以上の恵まれた人達だけに言えることだ。こんな状況でゲイであることにプライドなんて持てるわけがない。出会い系アプリの事後レーティングシステム導入、なんて真っ当に見える提案をしたものの、自分の場合は「画像詐欺」「挙動不審」「うるさい」といった評価だろうか。

 

20代後半から約10年間、出会い系アプリでいろんな人と出会ってきた。結局得られた事としては、自分の持っていた恋愛への虚像を捨てられた、パートナーシップが自分の身の丈には合っていない、結局は諦めることを忍耐強く学びなはれ、という事だった。「いや、それ努力してへんあんたが悪いんやで、筋トレして性格なおしーや!」という意見、正しい。まあ、それなりにやってるんやけどね… って突っ込みしてくるんやったら一回会ってみたらええやん!

 

という事で、2019年もぼちぼちアプリ活動やっていきます(結局やるんかい…)。

 

本日の二軒

China Room または尖沙咀     六本木

六本木のグランドハイアット東京内にある中華レストラン。週末の飲茶食べ放題ランチがおすすめ。メイン2種選べて飲茶も食べ放題。味は美味しいし、雰囲気も良い。同じ値段でなら隣のオークドアよりもここがランチではおすすめ。チムサーチョイはもっとカジュアルな飲茶店。使い勝手も良く、若干古びたビルにあるのも香港っぽい。香港行きたいけど、ちょっと時間ないねん、というときは取り敢えずChina Roomか尖沙咀で!

 

チャイナルーム

03-4333-8785

東京都港区六本木6-10-3 六本木ヒルズ グランド ハイアット 東京 6F

https://tabelog.com/tokyo/A1307/A130701/13017089/


尖沙咀

03-3403-0166

東京都港区六本木7-17-12 六本木ビジネスアパートメンツ101

https://tabelog.com/tokyo/A1307/A130701/13102339/

 

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恋愛就職活動 - 2017年の反省と今後の対策

Tokyo HideOutのブログを開設してほぼ1年が経過。当初はアプリによるゲイの恋愛活動を大学生の就職活動に見立てて、恋愛就職活動という記事を書いた。我々ゲイの人間関係とインターネット(今ではスマホアプリ)の関係は不可分で、そこでの我々の行動、感情は、まるで大学生がエントリー先の企業からの採用過程で次の採用ステップへ行けるメールをもらって喜んだり、本命企業の最終面接で落ちて落ち込んだり、といった就職活動の過程とどこか似ている。

 

2017年も僕はエントリーシートを出しまくり、一社一部上場企業から面接の招待を受けた。先方企業も選考過程で僕の事を気に入ってくれたようだ。しかしながら、三次面接を過ぎたあたりで、様々な困難な課題に突き当たることとなる。お互いの素の性格が見え始めて「やっぱり違うかも」と疑問に思い始めたり、相手とのコミュニケーションが急に難しくなったり、相手が苦しんでいる状況に直面して相手をきちんとケアできずに失望させてしまったり。。普段の生活では見えてこなかった自分の至らない部分が露骨に面接過程で見えてきて、自分でも戸惑った。結果、最終選考には呼ばれず、落選。

 

僕が就職しようとしているゲイ業界では、外見と筋肉が選考に大きな影響を与える要素となる。エントリーシートの書き方以上に、ジムでのトレーニングで上腕二頭筋を鍛えたり、ベンチプレスで大胸筋を鍛えたり、デットリフトで広背筋を鍛えたりすることが重要になる。しかし、ある一定の距離感になってから重要になるのは、コミュニケーションで相手を敬い思いやること。筋肉がどれだけ盛られても結局はちっぽけな弱い二人が支え合いながら一緒に生きていく、恋人って結局そんなものだ。僕が最終選考に行けなかったのは、自分を優先させすぎて、相手の事なんて考えていなかった事だろう。そんな関係からは何も生まれない。お互いの孤独感を刺激して、結果お互いを傷つける事にしかならない。

 

先日以前一緒に住んでいたルームメイトに会って指摘された一言;「ヒデ、結局哲学的な事でまとめようとするけど、また肉欲に負けて誰かを好きになるでしょ?」まぁ仰る通りで確実に次もそうなるけど、ゲイの世界でお互いが「好き!」となって一緒になれる事なんて確率的には非常に少ないと思う。多分次は数年後だろう。それまでにやる事、自分を変えることしかない。自分を見て欲しい、自分をもっと大切にして欲しいという渇愛を薄くすること。自分の濃度を薄くすること。よく思えば仕事でも自分を見て!という思いが人一倍強い。自分のアイデアが軽視されると拗ねたりしていたものだ(金融向いていない!)。上司もかなり困っていたと思う。。

 

実は某僧侶の本を6月から読んで、この来たる日に備えていたのだが、仏教的に穏やかな自分を取り戻すには、1) 自我は存在しないことを認識する、2)人は結局みんな独り、孤独、3)全ての物事は諸行無常;何事も永続することは絶対にない、これらの事を体得することから始める必要があるそうだ。そこから派生する事として、愚痴を言わない、悪口を言わない、嘘を吐かない、といった事が教えとしてある。

 

え、いや、別に新興宗教には加入してないけど、何を言い出すんだって?笑 まあそうですよね、これら全て僕はこれまで何一つとして守れていないくて、悪口を言いまくっては、欲望と怒りに任せて生きてきたんだから。誰かに挿入されることに執着してお金と精神をすり減らしてきた。でも、こんな生活完全に狂ってる。何故なら本人は疲れて苦しんでいるのに、それを心はやめられない。苦しみは刺激となって心は快楽になるからやめられない。でもここで大事なことは自分の心理状況を客観的に自己観察すること。客観的に自分の心理状況を分析して苦しみとして認識する事で、自然と癒えていく。執着しているものもいつの間にか忘れてしまう。まだ、完全にはできていないけど、今は少しつづ自分の濃度を薄めて執着を断ち切っている過程の最中だ。

 

1ヶ月経った今正直に言うと僕はもう一度チャンスが欲しかった。ちょっと距離を置いたけど、多分またやれそうだと。今度は少しは穏やかに接していけるよ、と。まあこれも単なる執着からくる綺麗事なんだろうね。今でも彼のことは好きだ。LINEでやり取りはたまにするけど、お互いが踏み込んで会話をすることはもはや無い。

自分の欲望を包み隠さず相手にぶつける事が恋人なんだと勘違いしていた自分。大事な人にこそ、いい意味で期待しない、距離を置いてあげる、といった事が必要なんだと改めて思い知らされた。自分は恋人を作れるような一人前の大人なんかじゃなかった。誰かに大事にされたくてたまらない渇愛と欲望にまみれた子供だったのだ。そんなちっぽけな自分を認識すると、焦って誰か恋人を求めることもそんなに強くならない。今何かをやっても結局うまくいかないことはわかっているから。

 

自分もちゃんと一流企業に就職できるかも!と浮かれポンチだった2017年の夏。結局は自分の未熟さを思い知らされる。お金で愛を買おうとはしなかったが、結局残ったのは今後数年間使う事がないであろう、コーニーとブラウンの恋人用のステッカーだった。。ステッカーの中ではキスをしたり抱き合ったりしているコーニー&ブラウン。コーニーはアップサイドダウンが激しくてかまってちゃんのどうしようもない子供だが、結局自分もコーニーと同じく未熟なガキだった。

今回の恋愛就職活動の結果は残念ながらお祈りメールで終結。残ったのは泣きながら拗ねているコーニーのスタンプ…しかし、このコーニー&ブラウンがキスしてるステッカー誰に使うかな。。2018年は軽率なLINEステッカーの購入は控えよう。(了)

 

(本日の一軒)

久保田 銀座

銀材にある新潟朝日酒造の直営店。新潟の郷土料理、のどぐろ、地酒を味わえるお店。お刺身が美味しく接待でも使うお店。天麩羅、新潟のお米、お刺身盛り合わせなどベーシックなお料理が洗練されて出てくる。ランチでも混むことのない予約なしで入れる貴重な銀座のお店。

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久保田

東京都中央区銀座8-8-8 銀座888ビル ル3F

https://tabelog.com/tokyo/A1301/A130103/13180623/

 

 

 

リスクテイク

僕は証券会社で勤務しているが、よく友人から「ヒデってどういう仕事してるの?」と聞かれる。平たく言うと、上場している会社の事業を分析して、この先3年の業績予想を作り、1年後の会社の株価はこうなりますよ、というレポートを書く仕事をしている。お客さんは、我々の年金資産なんかを運用している機関投資家と呼ばれる投資家達だ。僕らの仕事は正式にはセルサイドアナリストと呼ばれ、日経ヴェリタスのアナリストランキングなんかを目にしたことがある人もいるかもしれない。僕はそんな市場の端っこで細々とレポートを書いたり、たまに投資家にプレゼンしたりしている。

そんなセルサイドアナリストも昨今諸々の規制で存在意義を問われる職業となるリスクが高まっている。規制以外にも、銀行、証券会社などの金融機関はAI (人工知能)、ロボティックオートメーションなどのテクノロジーに一部を代替されつつあり、将来的には産業全体の雇用は縮小するのではないか、という見方も一部では強まっているようだ。

リーマンブラザーズがChapter11を適用される以前の米国不動産発のバブル時期では、証券会社のセールス、トレーダー達は億単位のボーナスを稼いでいた。僕らより少し上の金融世代は、今のような時期を見据えて将来のライフスタイルを組み立てていたであろうか。高給取りの旦那を勝ち取った彼等の嫁達は今の様な金融業界を想定していたであろうか。

結局はパートナーの職業や給料なんていつどうなるか分からない、当てにならないものだ。結婚するのに年収や職業は極めて重要な条件ではあるものの、現状が未来永劫続く事は可能性として極めて低いと言えるだろう。そこで重要になるのは、変化する状況に対応して自分の考えや自分の立ち位置を変えて行く柔軟な姿勢だろう。そのためには変化を恐れずに一歩を踏み出してみることから始めてみるのが良い。また結婚や恋愛で重要な事は、弱っちいお互いを認め合い助けあって行く事。金の切れ目が縁の切れ目ではとても遣り切れない。

今年の自分を振り返ってみて最も大きかった変化は、夏頃から数ヶ月間継続したとある男性との「友達以上」の関係だった事だろう。結論としては僕の幼児性で相手に振られれしまい、「友達降格」となってしまった。誠に残念だが現状を受け入れるしかない。しかしここで言える重要な事は、数年振りに誰かと友達以上の関係になると、それまで見えていなかった自分の悪い部分が露骨に現れて来て、自分ですら驚いてしまったという事である。そこで重要なのは臨機応変に状況に対応して相手を気遣うという事。数年以上のブランクがあった僕は、試行錯誤もままならないうちに、相手を「もう限界」という状況にさせてしまった。

友達降格という現状もうまく咀嚼できずにいるのだが、結局は将来なんてどうなるか分からない。もしかすると彼が何か別の良い出会いの機会のきっかけになり得るかもしれない。それまでの僕であれば、友達以上になって好きになった人との過去は全て抹消してしまうのが常だったが、今回はそういう事をやらないようにした。相手のデータを消したところでちっぽけな自分のプライドを必死で守る最後の足掻きにしかならないし、相手にとっては痛くも痒くもない事だ。しかし今の自分が抱いている脅威は、また今後数年のブランクができてしまうと言う事。友達以上の機会をより多く作って、何かしらの良縁ができればいいなと考えている。

こういう経験をすると何事も諸行無常だなぁと思わされるし、つい数か月前までは好きだの会いたいだの言っていた関係でも、何事も無かったかのように会話をしなくなってしまう。一体あれはなんだったんだろうか、と。物事はものすごい速度で変化しているし、一つの事に執着しても結果としてそれが上手くいく可能性は常に未知数だ。

ブログについてももう少し有用な事を書かねばならないなぁと反省している。これまでは赤裸々な性描写も多く読者に変な刺激しか与えて来なかった。それまで僕が抱いていたのは過去に対する「怒り」。それを解消するつもりで赤裸々に詳細を描写したつもりが、結局はネガティブな波長を自分に取り込んでしまうという結果になっていた。

今年も残すところあと2ヶ月程度だが、仕事でもプライベートでもリスクを恐れずに前へ踏み出してみようと思う。一時期は「ゲイ辞職」などと騒いでいたが、わざわざそのようにネガティブに自分を定義付けする理由など何処にもない。最も怖いのは失敗を恐れてあらゆる可能性をシャットアウトしてしまう事だ。了

本日の一軒

オールデイダイニング オリガミ

東京で好きな空間の一つ、溜池山王キャピトル東急ホテルにあるラウンジ、ダイニング。ランチで利用することがほとんどだが、定番のパーコー麺から季節の食材を使ったメインプレートのバリエーションとクオリティにいつも満足させられる一軒。ラウンジの雰囲気も良く、土曜の午前中ゆっくり本を読むには最適な場所。

オールデイダイニング オリガミ

03-3503-0109 東京都千代田区永田町2-10-3 ザ・キャピトルホテル東急 3F https://tabelog.com/tokyo/A1308/A130802/13117643/

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ダウントンアビーSeason6とゲイカミングアウトの件

NetflixとHuluでやっとリリースとなったダウントンアビーの最終シーズンであるシーズン6。前回シーズン5と同じ年代で1925年の第一次世界大戦第二次世界大戦戦間期を描いたシーズンである。シーズン6では労働者階級の台頭と貴族の没落が顕著となり、舞台であるカントリーハウスのダウントンアビーでも人員の削減を余儀無くされる時代となっていた。実際の使用人の中にも、貴族階級の特権を疑問視するセリフがここそこに散りばめらてており、シーズン6は、世の中の移り変わりと人々の心情の移り変わりを表している秀作であると言えよう。

 


Downton Abbey SERIES FINALE (Christmas Special 2015) (6x09)

 

シーズン6は他のシーズン同様、最終回がクリスマススペシャルとなっていて、クリスマス新年の祝賀ムードの中、これまで不幸続きだったダウントンアビー領主であるグランサム伯爵の次女レディー・イーディスが、最愛の伴侶と結婚式を挙げ、ハネムーンへと旅立つシーンで幕を下ろす。

 

貴族生活の没落が目に見えていて、現状生活を維持できないと認識ているグランサム伯爵は「何事にも柔軟にならねばならない」という信条の元、これまでの伝統を打ち破るように、屋敷の一般公開であるオープンハウスを実施したり、女性の社会進出を促したりするような言動に徐々に変わっていく。特に注目すべきは、最終回のクリスマスパーティーの中で、ゲイの副執事だったトーマス・バローを、執事へと昇進させることであろう。

 

1925年当時のゲイはどんなに寂しい生活をしていたであろうか。トーマスは迫り来る人員削減の中、副執事は必要ないとのことで幾度となく退職の意向を迫られる。ダウントンアビーに10年以上勤め上げたトーマスにとって、ダウントンアビーは初めて自分の性向を黙認しながらも、仕事をさせてくれた貴重な職場。彼のセリフで「やっと根を下ろしたという実感があったのに、去れというのは酷すぎる」と有ったが、当時のゲイからしたらダウントンアビーのような職場は如何に貴重で有っただろうか。

 

将来の不安に駆られ裏口で泣いているトーマスを見つけたメイド長のミセス・ヒューズは「きっと将来貴方に相応しい人が現れると信じているわ」と優しい言葉をかける。紆余曲折はありながらも最終的に由緒あるカントリーハウスの執事へと昇進したトーマス。彼の同性愛者としての性向知りながらも、経験と実績を認め、屋敷の執事へと昇進させる案を提案したグランサム伯爵の寛大さと先進さにいたく感動した最終回なのであった。

 

海外の友人の中には、性向で差別するなんてありえない、結果出せばそれでいいじゃんと言う友人が居る。それは正しい。しかし、あまりにも日本企業の現実を見ていない。日本社会全体でもカミングアウトができるような柔軟な社会とは言い難いし、周囲の醜聞を歓迎するように足を引っ張ったりするのが好きな輩が非常に多いのが現状だと思う。若い世代の中では少しつづ変わりつつあるようだが、周囲のストレートの友人達を見ても「ゲイの友達はヒデが初めて」と言う友達も少なくない。それ程、カムアウトのハードルが高いと言うのが現実だろう。

 

為政者側にもそれは問題があって、昨今でやっと言われるようになったLGBTという言葉がそれを表して居るようにも思える。しかし、ゲイである我々が(前線辞職はしましたが・・)周囲にカミングアウトをして、存在を知らせていかない限り周囲の認識も変わりはしない。我々が臆病になっていては何も始まらないのである。

 

家族へのカミングアウトは非常にリスキーで怖いものだ。あるカトリックの家族の事例では、両親にカミングアウトをした米国の少年がパスポートを取り上げられてメキシコに「男になってこい」と置き去りにされたという事例をとある本で目にした。両親へのカミングアウト、特に保守的な社会層でのカミングアウトは思いとどまる必要があるものの、その他の近親者へのカミングアウトはどうだろうか。若干ハードルは下がるのではないだろうか。

 

僕は7月に兄と彼の奥さんにLINEでカムアウトをした。きっかけは5月に東京で出会った父親の老衰具合に驚かされたというのが直接的な理由である。そこまで大きな病気ではなかったものの、3月に手術を行い快復をして退院した父親は、痩せこけてそれまで僕が知っている父親とは全く違っていた。東京で両親に出会った瞬間によぎった「父親の死」という現実的なシナリオ。高校卒業で実家を出て、両親とは距離を置いてきた自分。高校生の時から血色がよく、会うたびにお勧めの本を教えてくれた父が、確実に年をとっている。今後、両親の介護や看病などの現実的な問題が出てくる中、誰かに自分の今のライフススタイル、現状を伝えておく必要があるのではないか、と思った。距離的には離れているが、ちゃんと気にかけていて、何かあったら助けたいと思っているから、と知って置いて欲しかったのだ。距離を置いていた理由も、自分がゲイだったから、という事だったということも。自分勝手とは十分承知しているが、今後は責任も分担しますという事を兄夫婦に伝えたかった。

 

LINEでの兄の奥さんの反応は非常にライトなものだった。いや、そうかなーと思ってたよ、と。8月に実家に帰る予定があるのだが、その時会ってまた話そうね、と簡単に締めくくられていた。兄はどのような反応を示すだろうか。お互いドライな関係だったから、あまり感情的な話はないかもしれない。でもね、やっぱり最後の最後、誰かに振られても、会社に見捨てられても、最後は味方になってくれる人が欲しかった。両親に素直に甘えることも正直に自分のことを話すこともできないが、家族とどこかで繋がっていたかった自分がこの35年間ずっとどこかにいて、誰かと恋愛をするたびにその想いが爆発していた。今回はこの想いに正面から向き合うことにした。兄達とどのような会話がなされるかはわからないが、成り行きに任せて彼等を信じようと思う。

 

(本日の一件)

ひき肉少年 白金高輪

麻婆豆腐飯でもないカレーでもない不思議な鶏ひき肉ライスのお店。パクチーとバーナーで炙ったチーズのミックスが絶妙な一品。適度なスパイシー感で東南アジア感も満載。毎度ひしめき合う店内はカウンター6席だけとシンプルだが、テイクアウトで周辺公園での白金ランチも秋口はお勧めコース。

 

ひき肉少年

03-5420-1929
東京都港区白金1-11-15 1F
https://tabelog.com/tokyo/A1316/A131602/13162597/

 

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ゲイ辞職

突然だが、ゲイを辞めようと思う。とは言っても、異性愛者へと転向するということではない。主な内容は以下の通り;

 

1) 先ずは、ゲイコミュニティから距離を置くこと(特段参加もしてこなかったが);これまで、ゲイコミュニティには馴染めない、コミュニティのヒエラルキーの最下層だ、イケてないマイノリティのゲイ、などと散々自虐をしてきた。しかし、コミュニティに属さなければそのままの自分で良いじゃん、ゲイクラブに行って気不味さと最下層っぷりを意識しなくて済む。そもそも、コミュニティに行かなければ良いのだ。ゲイアプリも止めた。というか、5月からほぼアプリは開いていない。。Jack'dと Grinderというアプリが有名だが、もはや開くことすらしなくなった。

 

2) 煩悩の追求を止めること;全くエッチをしない、全く食欲を求めない、などということではない。これまでの自分は、煩悩を徹底的に追求して、血眼になってそこでの体験をみんなの前で語ることで、自分の存在価値を認識してきた。体験談と言っても成功体験は一つもない。アプリで知り合った白人とエッチをするために韓国へ行ったり、肉欲に負けて台湾へ行ったりと、セックスをすること、重ねていくことが、自分の価値、ひいては愛なのだと、救い様のないアホな価値観を持ってきた。肉棒を筋肉男に挿入されてどうだったとか、精液がどの程度出ただとか、肉欲の追求は果てることを知らない。残された自分は、渇愛で疲れ果てたアラフォーの「ゲイ」。求めても絶対には手に入らない快楽を追い求めては、苦の地獄へと堕とされていく、これの繰り返し。こんなものが、愛を求める過程、相手を求める手段なんだと勝手に思い込んでいた。それぞれのエピソードは、これまでのブログで書いてきた通りである。

 

ゲイのライフスタイルは、筋肉を増強させていく所から、その基礎が始まる。筋肉がないとライフスタイルすら成り立たないと言っても過言ではないだろう。そしてその筋肉、どれだけ増強させても、どれだけ立派な胸筋を持った御仁でも、「まだまだ足りない」「お尻が完璧ではない」と仰る。結局、ウリ専にでもなりたいのであろうか。結局は、自己愛を満たしたいがための終わりなき戦いである。まぁこれはゲイに限ったことではなく、トレーニングをしている人達全てに共通する心理ではあるが。自分も、2年前からパーソナルトレーナーをつけて、トレーニングを始めた。しかし、いつになったら満足がいく体が手に入るというのだろうか。

 

稲垣えみ子さん著の「魂の退社」。華やかで高給取りな朝日新聞記者時代を振り返って、彼女は「降りられない列車」に乗っていたとその時代を形容していた。高給取りだからこそできる、大量の洋服ショッピング、高額な化粧品、グリーン車での乗車、高級なお店での美食の数々。欲望を満たすためにもっともっとお金を欲しいと思う。気付いてみると、欲求を満たしても全くハッピーじゃない。でも、次の欲しい物や行きたいお店をリスト化しては、次の欲望を満たすために働いていた、と著作で仰る稲垣さん。

 

ゲイのライフスタイルだって一緒だと思う。常にハッピーな振りをして、良い体を見せつけ合う、衣食住のライフスタイルにこだわりを持って、セックスには奔放。もう、煩悩しかないじゃん。。別にそれが悪いってわけじゃないけど、10年以上をそれを見よう見まねでやったところで、全然ハッピーじゃない。ズタズタに傷付いて、性格がひんまがった、渇愛と欲望に塗れた醜い自分がいるだけだった。ゲイプライドって何だろう。こんな生き方にプライド持てますかね?次から次へと欲望を追い求めて、セックスを繰り返してさぁ。正直僕はもう疲れたよ。キリスト原理主義が同性愛を罪だと言う視点も今ではわからないではない。人間は快楽を常にしたいと願うものの、そんなことは絶対に叶わないからだ。すぐに不快で苦の瞬間へと放り込まれてしまう。そんな中で、ゲイプライドだとか言われても、プライドなんて持てないし。結局は、筋肉と生まれつきの顔面を持った男達だけが幸せになってくと言う構図はなんら変わりはないのだ。こんな外見至上主義の世界、正直もう無理だ。どんなに正しく生きようとしても直ぐに打ち砕かれてしまう。

 

と言うことで、僕はゲイを辞めることにした。欲望を緩く絶っていく過程、一つずつそれまでの欲望を手放す作業。恐らく僕のような小人には耐え難いことだし、いろいろと挫折があると思う。でもやらないと生きていけない。もうズタズタに傷付いて立ち直るエネルギーなんて残ってない。お金で愛を買おうとした、海外のコミュニティに行ってみた、自分を輸出しようとしてみた、筋肉をつけようとしてみた(途上だったけど)。愛って結局何なんだろうか。ゲイカップルとして幸せな人に聞いてみたい。ゲイって生きている意味有る?

 

これからの欲望を放擲する過程を想像すると、何だか涙が溢れてきて、帰宅時、明治通りの広尾5丁目を通り過ぎたあたりで目の前の風景が涙で滲んだ。もう戻ることはできない世界。でもこうやって先に進んでいくしかない。幸せだと勘違いをしていた価値観を一つずつ捨てていく作業。でも自分が生きていくためにはこうするしかない。広尾5丁目交差点に有るJASMINEの灯りが眩しい。

 

(本日の一件)

中華香彩 JASMINE 広尾本店

四川料理ベースの中華料理店。それぞれの本格中華料理を現代風にアレンジして食べやすくしている。よだれ鷄、水餃子、黒チャーハン、酢豚など基本的な一品が絶品。広尾と言う立地ながらもカジュアルな雰囲気の店内。出てくる料理のクオリティは非常に高い。

https://tabelog.com/tokyo/A1303/A130302/13123634/

 

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5年に1度の周期

ゲイの恋愛は選択肢が限られている事を知っているから、両想いで良いなぁと感じた関係でも、タイミングや相手の状況次第で物事が進まずに立ち消えになってしまうような案件が、5年に一度は有る。そんな時は非常に遣る瀬無い。まあ相手が積極的に来ないという時点で、1) 自分の外見に余り興味が無い、 2) 身体もそんなにセクシーじゃ無い、 3) 結論、 楽しいけど保留、という行動になるんだと思う。

自分の事を「好きだ」と面と向かって言われ、自分も「あーまじタイプ!」という状況は、これまでの経験則上、5年に一度の周期でしかやって来ない事が分かった。大阪人T(2003年)、南米人のG (2009年)、フランス人M (2014年)。ざっくり覚えているだけなので正確に5年という刻みなのかは、まあ適当だが。しかし30後半に差し掛かった昨年以降、相手が最後の一歩を躊躇う、要するに愛に飛び込もうという行動を躊躇する事ほどフラストレーションが溜まる事はない。

どんなにモテようが、人と出会う機会が増えようが、そんなフィーリングになれる相手は限られている。男女の恋愛だって同様の事だ。ましてや母集団の小ささとウケ/タチの構成比が歪で、構成員の顔面偏差値の開きが大きいゲイ市場で、お互い良いなぁーと思える相手に出会えて、楽しいと思える事なんて、少なくとも自分にとっては奇跡としか思えない。実際にその出会う確率を数値化したわけじゃないけれど、少なくとも5年かそれくらいの周期でしか巡って来ない非常に貴重なもの。

特に最近まで引き摺っていたフランス人M案件は自分の中でもフラストレーションが溜まる案件であった。もともと九州で先生をやっていたM。福岡に遠距離中の彼氏が居るらしく、結局はその関係を切る事が出来なかった事が原因なのだと思う。ワインや海外旅行にも全く興味が無い彼氏とは裏腹に、オープンでどちらの分野にも興味がある自分は話しやすかったのだろう。毎回違うご飯屋をピックアップしては、お酒とお互い最近の興味がある事、最近観た/聴いたオペラの話、こんな事を英語、フランス語、日本語混ぜながら話す事が楽しかった。お互い食べて飲む事に興味がある事が嬉しかった。所謂、脳内セックスというある種の恍惚状態に陥っていたのだ。彼氏との関係が上手く行っておらず、恐らく別れているであろう状況になっていたはずの数ヶ月前でも、Mが一歩を踏み出さなかったのは、恐らく自分の外見がなのかなぁとも思う。

自分は拙い自分なりのベストを尽くして、想いも伝えた。後は相手の決断と行動に委ねたが、結局それは叶わなかった。この様な状況も次回来るのは5年後の40過ぎてからなのだろうか、いや若しかすると、もう無いのかもしれない。30代のゲイって一番楽しいけど、これが終わるともう何も無いのかな、とたまにゲイ友と話す話題。自分と同じ年齢だったフランス人Mはどのように人生を考えていたのだろうか。人生で我々に残されている時間もそんないない中、何かを熟考したりするよりも、動き始めてお互いのフィーリングを感じた方がより手っ取り早いに決まっている。何を躊躇う必要が有ると言うのか?(え、お前の顔面だって…?申し訳ない…)

どんどんと増殖する頬っぺたの肉と相反するように出会いの確率も少なくなっている昨今。どげんかせんといかんと思うが、こればかりは仕方がない。また上手くいかないなぁと思う一方で、年齢は確実に積み上げている。そんな中、いつも2人で通っていた渋谷のビストロの前を通る度に、Mと話していた会話や彼の顔がフラッシュバックする。了

(本日の一軒)

汁なし坦々麺 どらいち

坦々麺が好きだ。某有名四川の汁無し坦々麺も良いが、ふらりと入れるお店で美味しい汁なし坦々麺を味わえるこの店は貴重。汁有りの坦々麺を注文すると、麺を食べた後のスープにご飯を入れてくれてシメも食べられるという良いお店。

麻布麺房どらいち

03-5442-1928

東京都港区南麻布2-12-5 https://tabelog.com/tokyo/A1316/A131602/13009338/

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お金で愛を買う(ゲイ40代編)

ゲイで言う所のマッサージとは、手こきで行かせてくれるか、挿入有りのサービスの事を指す。港区に引越す前から相性が良かったゲイのマッサージ師Tさんは、特段外見がタイプ!という訳ではなく、性格とエッチの相性が良い事から、かれこれ2年くらいお世話になっている。Jack'dのゲイアプリで彼のプロファイルが目に止まった。「スポーツマッサージ、エロも有り、タチ」というキャッチフレーズに乗せられて、月一でうちに来てもらっては、マッサージと挿入をして帰って行くTさん。年齢は42歳らしいが、ゲイのご多聞に漏れず若く見える。

 

どうしても挿入されたくて仕方ない時、疲れた週末に、LINEで連絡するとうちまで来てくれるTさん。但しここでの「ヒデ、お前やっぱり愛を金で買おうとしてるやん」というツッコミは誤り。性処理とマッサージをちゃんと同時にやって1万円って安過ぎる(チップは上乗せ)。愛が欲しい訳じゃなくて、礼儀正しい大人のゲイが、たまにうちに来て一通り喋ってエッチをして行くという関係。一プロと客との関係に過ぎない。お互いの肉棒はしゃぶらないし、キスもしない。ここはお互いを信頼してないからだが、特段それは気にしない。

 

しかしながら残念な事に、数ヶ月前、東京に疲れて関西の実家に最近里帰りしてしまったTさん。それでもたまに東京に来ているらしく、その度に滞在期間の連絡が入る。先日久し振りにお互いの都合が合って、久し振りにうちに来てもらう事になった。マッサージをしてもらっている間の会話はアラフォーゲイの悩みをお互いに披露するというもの。浮いた話も無いし、今後どうするよ、的なオチになる。お互いの年齢を考えると至極普通の悩みで有る。彼氏やパートナーが居れば全て問題は解決するのであろうか。詰まらないと感じている日常から抜け出す事が出来るのだろうか。今感じている答えは、否。

 

マッサージ師Tさんのとあるクライアントで、42歳のゲイ男性Jさん。10年程付き合っている彼氏(50代前半)と同棲をしていて、側からみれば幸せなカップルなのだそう。マッサージ師のTさんは、50代の彼氏さんが居ない昼間にマンションにお邪魔して、マッサージと挿入をJさんに施して帰って行くそうだ。最近、そのクライアントJさんが20代のウリ専ボーイにどハマりして、旅行に連れて行ったりしているらしい。しかし愛をお金で買えない事をマッサージ師のTさんに愚痴るのだそうだ。

 

ゲイが50を過ぎるとsugar daddy(パパ)などと年下の男に言われ、出会いの数も極端に少なくなってしまう。ゲイの寿命は40代までとは言われるが、強ち間違っていないだろう。10年男同士が一緒にいると、セックスレスになるし、そこでの関係は、お互いの遊びを認めるopen relationshipになるというのが、自分の海外リサーチの今の所の結論だ。10年来の付き合いで得たものは、パートナーとの信頼関係。病気でどちらかが倒れた時の看病など、どちらかと言うと老後に備えた目的の方が大きい。

 

でもエッチをするなら、弾力のある筋肉で覆われた若い男性とが良い。みんなそう思って生きているゲイ。彼氏やパートナーが出来たところで、死ぬまでエロオヤジのまま性欲は尽きるところを知らない。腐臭が漂うジジイになってでも、若い筋肉男のブリーフをずらし、肉棒を咥える事に執着し続けるのだろうか。何だかそんなのはちょっと悲しい。しかし老いは、社会的抑圧と若さの喪失によるコミュニティとの距離感、ゲイ男性にとっては二重の圧力となる。

 

オランダや北欧、サンフランシスコの40代〜ゲイコミュニティのリサーチの必要性を今一度強く感じる。彼等のライフスタイルの中で何かしらロールモデルとなりそうなヒントを得てみたい。ゲイにとっての幸せは肉棒を咥えたり、挿入されたりするだけじゃないよ、と気付ければ、ゲイアプリで軽くブロックをして相手との関係を断ち切るような行為って少しは少なくなるのだと思う。

 

マッサージ師Tさんとも話してたけど、アプリって目的を得る事だけ(要するにサクッとエッチをする事)にフォーカスしすぎて、それまでのプロセスを全てショートカットしてるよね、と。だから新しい人と出会うことに全く新鮮味が無くて、楽しくなくなったよね、と。

 

それはよく分かる。しかしスマホがコミュニケーションのスタンダードとなった今、此処から後退する事は難しい。だだ、肉棒、挿入、射精というルーティンからの脱却を皆々が意識しないと、このコミュニティって結局はみんなが筋肉男になって、精液で塗れるだけのつまらない世界に成り下がってしまうだろう。と、マッサージ師Tさんと絡みながら自分が精液まみれになっていた…あかんわ。。まぁ、たまには良いよね。了

 

(本日の一軒)
ダバインディア インドカレー

 

京橋にある南インドカレーの名店。此処のダルは美味しい。ビリヤニライスも本場に近い、とインドでカレー修行した姉さんが言っていた。サンバルやラッサムという辛いカレースープも南インドカレーの特徴。大手町OLだった頃、金曜に遠征していた京橋の名店。平日ランチは行列必至。

 

ダバインディア
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東京都中央区八重洲 2-7-9 相模ビル 1F
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