Tokyo HideOut

アラフォー外資系金融勤務のゲイHideが描く日常

ゲイ辞職

突然だが、ゲイを辞めようと思う。とは言っても、異性愛者へと転向するということではない。主な内容は以下の通り;

 

1) 先ずは、ゲイコミュニティから距離を置くこと(特段参加もしてこなかったが);これまで、ゲイコミュニティには馴染めない、コミュニティのヒエラルキーの最下層だ、イケてないマイノリティのゲイ、などと散々自虐をしてきた。しかし、コミュニティに属さなければそのままの自分で良いじゃん、ゲイクラブに行って気不味さと最下層っぷりを意識しなくて済む。そもそも、コミュニティに行かなければ良いのだ。ゲイアプリも止めた。というか、5月からほぼアプリは開いていない。。Jack'dと Grinderというアプリが有名だが、もはや開くことすらしなくなった。

 

2) 煩悩の追求を止めること;全くエッチをしない、全く食欲を求めない、などということではない。これまでの自分は、煩悩を徹底的に追求して、血眼になってそこでの体験をみんなの前で語ることで、自分の存在価値を認識してきた。体験談と言っても成功体験は一つもない。アプリで知り合った白人とエッチをするために韓国へ行ったり、肉欲に負けて台湾へ行ったりと、セックスをすること、重ねていくことが、自分の価値、ひいては愛なのだと、救い様のないアホな価値観を持ってきた。肉棒を筋肉男に挿入されてどうだったとか、精液がどの程度出ただとか、肉欲の追求は果てることを知らない。残された自分は、渇愛で疲れ果てたアラフォーの「ゲイ」。求めても絶対には手に入らない快楽を追い求めては、苦の地獄へと堕とされていく、これの繰り返し。こんなものが、愛を求める過程、相手を求める手段なんだと勝手に思い込んでいた。それぞれのエピソードは、これまでのブログで書いてきた通りである。

 

ゲイのライフスタイルは、筋肉を増強させていく所から、その基礎が始まる。筋肉がないとライフスタイルすら成り立たないと言っても過言ではないだろう。そしてその筋肉、どれだけ増強させても、どれだけ立派な胸筋を持った御仁でも、「まだまだ足りない」「お尻が完璧ではない」と仰る。結局、ウリ専にでもなりたいのであろうか。結局は、自己愛を満たしたいがための終わりなき戦いである。まぁこれはゲイに限ったことではなく、トレーニングをしている人達全てに共通する心理ではあるが。自分も、2年前からパーソナルトレーナーをつけて、トレーニングを始めた。しかし、いつになったら満足がいく体が手に入るというのだろうか。

 

稲垣えみ子さん著の「魂の退社」。華やかで高給取りな朝日新聞記者時代を振り返って、彼女は「降りられない列車」に乗っていたとその時代を形容していた。高給取りだからこそできる、大量の洋服ショッピング、高額な化粧品、グリーン車での乗車、高級なお店での美食の数々。欲望を満たすためにもっともっとお金を欲しいと思う。気付いてみると、欲求を満たしても全くハッピーじゃない。でも、次の欲しい物や行きたいお店をリスト化しては、次の欲望を満たすために働いていた、と著作で仰る稲垣さん。

 

ゲイのライフスタイルだって一緒だと思う。常にハッピーな振りをして、良い体を見せつけ合う、衣食住のライフスタイルにこだわりを持って、セックスには奔放。もう、煩悩しかないじゃん。。別にそれが悪いってわけじゃないけど、10年以上をそれを見よう見まねでやったところで、全然ハッピーじゃない。ズタズタに傷付いて、性格がひんまがった、渇愛と欲望に塗れた醜い自分がいるだけだった。ゲイプライドって何だろう。こんな生き方にプライド持てますかね?次から次へと欲望を追い求めて、セックスを繰り返してさぁ。正直僕はもう疲れたよ。キリスト原理主義が同性愛を罪だと言う視点も今ではわからないではない。人間は快楽を常にしたいと願うものの、そんなことは絶対に叶わないからだ。すぐに不快で苦の瞬間へと放り込まれてしまう。そんな中で、ゲイプライドだとか言われても、プライドなんて持てないし。結局は、筋肉と生まれつきの顔面を持った男達だけが幸せになってくと言う構図はなんら変わりはないのだ。こんな外見至上主義の世界、正直もう無理だ。どんなに正しく生きようとしても直ぐに打ち砕かれてしまう。

 

と言うことで、僕はゲイを辞めることにした。欲望を緩く絶っていく過程、一つずつそれまでの欲望を手放す作業。恐らく僕のような小人には耐え難いことだし、いろいろと挫折があると思う。でもやらないと生きていけない。もうズタズタに傷付いて立ち直るエネルギーなんて残ってない。お金で愛を買おうとした、海外のコミュニティに行ってみた、自分を輸出しようとしてみた、筋肉をつけようとしてみた(途上だったけど)。愛って結局何なんだろうか。ゲイカップルとして幸せな人に聞いてみたい。ゲイって生きている意味有る?

 

これからの欲望を放擲する過程を想像すると、何だか涙が溢れてきて、帰宅時、明治通りの広尾5丁目を通り過ぎたあたりで目の前の風景が涙で滲んだ。もう戻ることはできない世界。でもこうやって先に進んでいくしかない。幸せだと勘違いをしていた価値観を一つずつ捨てていく作業。でも自分が生きていくためにはこうするしかない。広尾5丁目交差点に有るJASMINEの灯りが眩しい。

 

(本日の一件)

中華香彩 JASMINE 広尾本店

四川料理ベースの中華料理店。それぞれの本格中華料理を現代風にアレンジして食べやすくしている。よだれ鷄、水餃子、黒チャーハン、酢豚など基本的な一品が絶品。広尾と言う立地ながらもカジュアルな雰囲気の店内。出てくる料理のクオリティは非常に高い。

https://tabelog.com/tokyo/A1303/A130302/13123634/

 

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